シュタイナー教育=オカルティズムという批判があり、その危険性に関してどのようなものがあるのかを認識しておく必要がある。  オカルトに関して、詳しく調べようという興味は無いが、シュタイナーの言う「オカルト」とは何か。  シュタイナーの主著の中に「オカルト生理学」がある。  オカルトと教育はあまり関係ないのではないか、オカルト=不思議な力=科学的に証明出来ないエセ科学=危険な思想 そんなイメージがある。  私たちが私達の意識生活から出発して、多少なりとも意識を持っている魂の営みと私たちの生体との関係を考察するとき―そしてどうぞ私の話をすべてこの関係の問題として取り扱ってください―・・・・ (「オカルト生理学」シュタイナー著 高橋巌訳 p154)  今回は扱いませんが、オカルトとしているものは、何度も繰り返されるように、人間を存在足らしめる知性の存在とその表象を人体組織、形態の中に見出し、「科学的、数学的、理論的」手法を用いても可能な方法で証明しようとする営みであると著書を読むことで感じることができます。  私からすれば、むしろもっとも市民権を得ているような概念の中に、根拠の無いもの、根拠を明らかにしようとする姿勢も、努力も見られないものがどれほどあるだろうか、そういうものを見出していくことは可能だろうと思う。例えば「99.9%は仮説」のような本が出たり。  日本の文化の中には、あまり考えすぎずにとにかくこれまでの伝統どおりやれば上手く行くという発想があります。それは、自分を「無」にすることに悟りを見出す方向でもあるので、存在に対する問いの答えは「無心」もしくは「宇宙との一体」に感覚的になるものであると感じられます。  その目に見えないものの働きをより科学的に証明していこうという方向が、シュタイナーの言うオカルトであり、「超常現象」を起こすとか、理解不能なことを生じさせるとか、そういったものとは違うのだと感じています。  以前シュタイナー教育関連の講演会に同僚を誘ったところ、「言っている事は当然だけれど、結局それができないのよね。」と感想を言っていました。 危険なオカルトと一瞥するなら簡単な事でしょう。 かといって、「生兵法は怪我のもと」ちょっとかじっただけで知ったかぶりをするようでもいけませんが、現在の教育制度、内容、それらが十分に成熟しているとはとてもいえない状況において、様々な可能性を見出そうとする意志があるのならば、より人間存在の意味を見出そうとする学びの道を、風評などで判断するのではなく、別の目で見れるようになってくれると良いなあと思うのですが、「先入観をすてる」事は、難しいものだと改めて感じる事になるだけなのかもしれないと思うのでした。