『光速夢実現』のお茶の水 博です。
ジョン・ロックフェラ−のマインドセット、つまり金銭哲学の二つ目は、『質素倹約』ということです。
このジョンの『質素倹約』は、母エルザの強い影響がありました。
敬虔なプロテスタントの信仰を持つ、母、エルザは、山師まがいの薬の行商人として飛び回っている父、エイブリイのようにならないように、子供たちに『質素倹約』を説き、厳格に育ててきました。
とくに長男のジョンには、1セントの無駄もしないように、小遣い帳をつけることを奨め、ジョンもまた母の言いつけを守り、4才の時から小遣い帳を几帳面につけていました。・
ジョンが小学校時代のことです。森の中で見つけた七面鳥の卵を孵化させ、雛を育てて農家に売り、子供ながらもいくらかの収入を得ることを覚えました。畑仕事のアルバイトや、子供のできる仕事なら何でもやっていました。
こうして貯めた10ドルを隣の農夫から、「年利7パ−セントで貸してくれないか」と頼まれ、貸してあげたところ、1年後に戻ってきた利息金額で200セントになったのです。それはジョンの畑仕事のアルバイト、10日分にあたる金額でした。
母の言いつけどおり、その1分の10セントを教会の寄付金箱に入れた時のうれしさを、ジョンはのちのちまで忘れることがありませんでした。
この『質素倹約』は、彼が石油製油会社を持ってから、その力を発揮するのです。
ジョン・ロックフェラ−が設立した石油製油会社は、ひしめく同業者の中から、抜きん出て業績をあげてゆきました。それは彼の徹底した『質素倹約』の経営精神があったからでした。
例えば、石油を入れて輸送する樽の工場を買い取った時のことです。当時、樽の底をとめていた鉛も40粒でした。彼はその鉛の節約のため、38粒にしてみるよう試させました。ところが漏れてしまったので、じゃあ、39粒ならどうだろう、とやらせてみたところ、見事に漏れがない樽ができたのです。これで1樽につき鉛1粒が節約できたのです。
彼はのちのちまで、この時の節約で、何万ドルも節約できたと、自慢そうに語ったということです。
また樽に塗るペンキも青が一番安かったため、彼の石油会社の樽はすべて青に塗られました。
1870年、『スタンダ−ド石油』と名を改めて、その会社の発展はうなぎ登り、この青い石油の樽が、アメリカの各地に輸送されてゆきました。
船や鉄道の輸送にも、輸送会社と交渉の末、輸送料を競争他社より安くさすことに成功。こうしたコストの安さで同業他社を寄せ付けず、競争他社は次々とつぶれてゆきました。さらにつぶれてゆく同業他社を傘下におさめ、『スタンダ−ド石油』の発展と拡大はとどまることがありませんでした。
『光速夢実現』 お茶の水 博