三井は現在旅に出ています。
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今回はミャンマーからのレポートをお送ります

■ ガソリン価格引き下げの愚劣さをアジアから考える

 久しぶりにネットにアクセスして日本のニュースサイトを見たら、『ガソリン価格25円値下げ』という見出しが飛び込んできた。ガソリンにかかる暫定税率が4月1日から廃止されたという。
 このガソリン税の見直しについての議論が、国会での主要な議題となっているという話はなんとなく聞いていた。しかしまさか本当に廃止される(たとえそれが一定期間であっても)とは思わなかった。
 なにバカなことをやっているんだ、とため息をついてしまった。

 4月1日まで1リットルあたり140円から150円だった日本のガソリン価格は、世界的に見て決して高くはない。環境問題に敏感なヨーロッパ諸国はすでに日本よりも高いし、インドやスリランカは1リットル130円ほどで日本と同じレベル、産油国であるインドネシアや東ティモールは若干低くて1ドル前後だが、アジアで1リットル100円を切っている国はほとんどない。

 このガソリン価格は物価水準の安い国から見れば、相当な高値である。バングラデシュでもミャンマーでも、庶民の所得水準というのは日本の50分の1以下である。これらの国々では衣食住の値段はものすごく安いが、国際市場によって価格が決まるガソリンの値段は世界中ほぼ同じ水準になってしまうのだ。

 僕は現地でバイクを借りて旅をしているから、ガソリン価格には現地の人と同様に敏感である。例えばバングラデシュなら、一泊150タカ(240円)の安宿に泊まり、一食50タカのカレーを食べているというのに、ガソリンスタンドで5リットルの給油をすれば340タカも取られてしまうのである。思わず「そりゃ高いよ!」と言いたくなってしまう。他の物価に比べると、ガソリン価格の割高感が抜きん出ているのだ。



 経済力の弱い国ほど原油高の影響をより強く受ける。
 そのことを強く実感したのがミャンマーだった。実は、昨年9月にミャンマーで起こった僧侶による反政府デモとその後の混乱には、この原油高が深く関わっていたのである。

 ミャンマーには二つのガソリン価格が存在する。
 政府が運営するMPPEというガソリンスタンドでは、1ガロン2500チャット(1リットルあたり60円ほど)の公定価格で売っている。しかしこの価格で購入できるのは、政府が発行したライセンスを持っている人だけであり、買える量も制限されている。つまり配給制度に近いものである。
 ライセンスを持っていない人と、規定量を超えてガソリンを買う人は、路上で売られている闇ガソリンを手に入れなければいけない。「闇」といっても品質が悪いとか、当局に隠れてこっそりと売っているというわけではなく、白昼堂々と売られている。もちろん政府も黙認している。この闇ガソリンは1リットル130円ほどだから、ほぼ国際標準価格である。

 昨年9月の騒乱は、MPPEで売るガソリン価格が1ガロン180チャット(1リットルあたり4.5円ほど)から2500チャット(1リットルあたり60円ほど)へと一気に10倍以上も引き上げられたことが引き金となって始まった。
 それによってまずバスやタクシーなどの交通費が劇的に上がり、続いて輸送費の高騰によって食料品やその他の品物の値段も上がった。便乗値上げも横行した。つまりオイルショックである。庶民の生活は一気に苦しくなり、それが政府への抗議行動へと繋がったのである。
 あのデモは民主化の要求というよりも、「苦しい生活を何とかしろ!」という民衆の叫びが引き起こしたものだったのだ。

 ミャンマー人の収入はとても低い。ホテルや食堂で働く若者の月給は2500円ほど。小学校の先生だってせいぜい3000円ほどである。それでも何とか暮らしていけたのは、ものの値段がとても安く押さえられていたからだ。
 貧しくとも安定した社会。それは政府によって意図的にコントロールされたものだった。

 産油国でもない(出ることは出るがたいした量ではない)ミャンマーが1リットル4.5円なんていう驚くべき安値を維持できたのは、政府が補助金を出していたからである。
 しかし意図的に物価を抑えることで、国民の生活レベルを維持しようとしする社会主義的な統制経済は、石油価格高騰という外からのインパクトの前にあえなく破綻した。政府が補助金を出して維持できる価格レベルを超えてしまったのだ。
 


「ミャンマーは世界から取り残されてしまいました」とあるミャンマー人は言う。「経済だけではなく、スポーツでもそうです。ミャンマー人はとてもサッカーが好きなんです。今は衛星テレビが見られるから、イングランドのプレミアリーグなんかもライブで見ることができる。でもミャンマーの代表チームは情けないほど弱いんです。アジアでも下から数えた方が早いぐらい弱い。でも30年前は違ったんです。アジアのトップレベルだった。ところが軍事政権になってから、他の国と戦うチャンスがほとんどなくなってしまった。テストマッチといっても東南アジアのレベルの低い国とやるぐらい。競争する舞台が無くなった結果、ナショナルチームはどんどん弱くなってしまったんです」
 やはりスポーツにも経済にも「競争」が必要なのである。日本国内でちまちまとリーグ戦をやっていた頃の日本サッカーと、今のJリーグのレベルが大きく違うことからも、それは明らかだ。

 ミャンマーのように半鎖国状態を続けてきた国であっても、グローバル経済から、特に石油というエネルギー源からは無縁ではいられない。
 石油は経済の「血液」であり、それを確保するためには外貨がいる。しかし長いあいだ国際競争にさらされてこなかったミャンマー経済の競争力は弱く、外国からの投資も呼び込めず、エネルギー確保もままならないので、首都ヤンゴンでも一日のうちの大半が停電しているというような状態が続いているのだ。



 ミャンマーの例からわかるのは「政府の力によって物価を抑制する」というやり方の限界である。経済がグローバル化し、国際市場によって石油などの価格が決められている現在、補助金の力でそれを抑制するのは極めて難しい。
 特にミャンマーのように経済規模が小さな国ほど、国際価格の影響を強く受けることになる。船は小さければ小さいほど、波の影響を強く受ける。ミャンマーという船はグローバル経済の中で、今激しく揺さぶられていて、転覆寸前なのである。

 ここで日本のガソリン税の話に戻ろう。
 ここまで読んでいただければわかるように、今の時代に減税によってガソリン価格を引き下げるというのは時代に逆行する愚策の極みなのである。
 政府が本当に取り組むべきなのは、原油価格がいくら上昇しようとも、その影響をできる限り小さくする経済の仕組みを作ることだ。今後ガソリン価格がさらに上昇しても、それに冷静に対処できるような社会を作っていく。つまり「石油依存型経済」からの脱却である。船のアナロジーで言うなら、高い波が来ても揺れないだけの大きくて頑丈な船を作るということである。

 もちろん暫定税率が不必要な道路を作り続ける「無駄と利権の温床」となっていたのも事実なわけだが、それならその分の税金を「環境税」や「炭素税」という名目に置き換えて、地球温暖化防止に役立てる仕組みを作ればいい。

 僕は1バレルあたり100ドル程度で取引されている今の原油価格は、今後もっと上昇するだろうと考えている。サブプライムローン問題に端を発したアメリカの景気後退が世界経済の足を引っ張ると予測されているが、莫大な人口を抱えるインドや中国の成長率の高さを見れば、石油の需要が減ることは当面あり得ないと考えられるからだ。何しろこの二国だけで25億人(!)もの人が暮らしているのだ。

 ガソリンの値段が上昇しているにもかかわらず、インドや中国で車やバイクの売れ行きが鈍ったという話は聞こえてこない。インド最大の自動車会社TATAが10万ルピー(30万円弱)という激安の車を売り出すというニュースも、「自分の車が欲しい!」というインドの中産階級が劇的に増えていることを物語っている。

 世界は、特にアジアは、今すごい勢いで豊かになりつつある。そして今のところ豊かさと石油の消費量は比例関係にある。豊かになった人々は自分の意志で移動できる手段――つまり自家用車やバイク――を持ちたがるからだ。市内にトヨタやホンダの自家用車が溢れているバンコクの状況を見れば、それがよくわかる。

 今後数年のあいだに、ガソリンが1リットル200円かそれ以上になる時代がやってくるだろう。そういう「エネルギー希少」の時代を先取りして、これまでのようなエネルギー浪費型ではない、環境に負担をかけない産業構造にシフトしていく。そのために今よりももっと高いガソリン税をかける。それが日本政府の取るべき対応だ。税金を下げている場合ではない。

 1970年代に起こったオイルショックでは、その試みが成功した。オイルショック後も日本のガソリン価格は税金によって高く設定され、そのことが日本の自動車会社の低燃費車開発へのインセンティブになった。反対にガソリン価格を低く抑えてきたアメリカの自動車会社は燃費の面で劣ることになり、競争力を失った。
 高い税金が「悪」ではない。それは産業や社会を変える力にもなりうるのだ。

 よく考えたら、自動車なんてただ維持費がかかるだけの無用の長物だよな。そう気付く人もこれからは多くなると思う。
 そうしたらバイクか自転車に乗りましょう。バイクなら1リットル50キロ走る。自転車ならお腹に付いた余分な脂肪を燃焼させてくれたうえで、さらに前に進んでくれる。まことに素晴らしい。

 リクシャ引きにデブはいない。これもまた、ひとつの真実である。




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 旅写真家。1974年、京都市生まれ。
 機械メーカーでエンジニアとして2年間働いた後退社し、2000年12月から10ヶ月に渡ってユーラシア大陸一周の旅に出る。
 帰国後立ち上げたホームページ「たびそら」が「@niftyホームページグランプリ2002」で準グランプリを受賞し、2003年12月に初の写真集「アジアの瞳」を出版。
 2004年からは「旅写真家」としてアジアを中心に旅と撮影を続けながら、執筆や講演などを行っている。
 2005年9月には2冊目の著作「素顔のアジア」を出版。
 2006年8月には「美少女の輝き」「子供たちの笑顔」の二冊の写真集を同時出版。
 (→更に詳しく)



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