スリランカ東部の今の様子を描いたレポートの2回目をお届けします。
スリランカの現状を知ってもらう手がかりになればと思って、大急ぎで書き上げました。
かなり長いレポートですが、ぜひスリランカの写真とあわせてお読みください。

■ 「終わらない戦い」スリランカ東部からのレポート(2) ■

 雨ということもあってか、ロドリゴさんの茶店を訪れる客はあまり多くはなかった。「スリーウィラー」と呼ばれる三輪タクシーの運転手や、バスを待つ乗客がときどきやってきて、お茶を飲んでいくぐらいのものだった。
 目の前の道で検問を行っている兵士がタバコを買いに来ることもあった。そのたびに僕らは話を中断し、ロドリゴさんは営業スマイルを浮かべて兵士たちの相手をした。そして兵士たちが店を離れるのを見計らって、また話し始めるのだった。
「我々少数派のタミル人は、明らかに差別されている。多数派のシンハラ人と対等の立場でものを言うことができないんだ。例えば、警察官や兵士や役人のほとんどはシンハラ人で占められている。そこに立っている兵士たちもみんなシンハラ人さ。トリンコマリーの役所に行けば、そのことがよくわかるよ。役所の前に記念碑が立っていて、そこに歴代の市長の名前が刻まれているんだ。全部シンハラ人の名前だよ。タミル人は一人もいない。ここは住民の65%がタミル人の町なのにね。まったくおかしいじゃないか。我々タミル人はスリランカから独立したいと思っているわけじゃない。自分たちのことは自分たちで決めたいと言っているだけなんだ。どこへ行っても監視され、何を発言したかチェックされる。そういう状態はもうたくさんなんだ。自由を求めているだけなんだ。
 一番の問題はね、高い教育を受けたタミル人の若者がいい仕事に就けないことなんだ。政府はタミル人を雇わないし、この町にはこれといった産業がない。だから若者たちは仕事を求めて外国に出て行くしかない。ヨーロッパやアラブの国なんかにね。そして仕事も見つけられず、外国にも行くことができず、絶望している若者に『こっちへ来ないか』とささやくのがLTTEなんだ。彼らはフラストレーションを持った若者を簡単にリクルートする。そしてテロを起こさせる。いくら彼らを殺しても、また新しい若者が組織に加わるのさ」
 それは自爆テロを起こす中東の若者とも共通していた。彼らが組織に入るきっかけは、宗教的情熱に駆られてというよりも、現実の貧しさや行き場のない閉塞感の出口を求めてという場合が多い。貧しさや被差別感がなくならない限り、テロを生み出す温床もまたなくならないのだ。
「トリンコマリーには世界でも有数の天然の良港があるんだ。でもそれがまったく生かされていない。船はこの港には寄りつかず、町は30年からまったく発展していない。ここがタミル人の住む危険な町だということで、開発されてこなかったからさ。
 昔からトリンコマリーにはいろんな民族が住んでいた。タミル人、シンハラ人、ムスリム、アラブ系のムーア人、オランダ系のバーガー人。みんな一緒に住んでいた。そこが他の町とは違うところさ。他ではタミル人はタミル人、ムスリムはムスリムで集まって住んでいるだろう。トリンコマリーで育つというのは、違う文化を知るということだったんだ。私が子供の頃は、どの民族も同じ学校に通っていた。違う民族の友達を通じて、お互いをよく知ることができたんだ。でも1971年に政府が方針を変えてしまった。タミル人はタミル人の学校へ、シンハラ人はシンハラ人の学校へ行くということになってしまったんだ。それは間違ったことだと私は思う。それによってお互いの不信感が強まり、国がバラバラになってしまったんだ」

 ロドリゴさんはトリンコマリーで生まれたが、若い頃に町を出て、コロンボで船舶整備の仕事をしていた。給料も良く、それなりに充実した暮らしだった。しかし1995年に故郷に戻ることになった。ロドリゴさんには三人の妹がいるのだが、そのうちの一人が政府軍の兵士によって誘拐されそうになったのだ。
 その兵士は夜中に突然家の中に踏み込んできた。彼女の夫にLTTEの嫌疑がかけられているから、その身代わりに彼女を連れて行くというのだ。当時、トリンコマリーでは同じような事件が多発していた。そうやって連れ去られた女性はレイプされ、口封じのために殺される。それを知っていた家族は大声を出して抵抗し続けたので、兵士は誘拐を諦めて逃げていった。しかしその事件以来、ロドリゴさんの母親はノイローゼ状態になり、長男である彼に故郷に戻ってくるように懇願したのだった。
 故郷に戻ったロドリゴさんは小さな雑貨屋を開いた。一畳ほどのスペースに新聞やタバコやバナナやお菓子などを並べた店である。商売は上手く行き、2004年には新しい店を建てることができた。コンクリート製の三階建てのビルで、建設には450万ルピー(450万円)かかった。一階は雑貨屋と茶店、二階と三階は宿にしてお客を泊めるつもりだった。従業員も5人雇っていた。その店のスタートも順調だった。でも店を建てた5ヶ月後に例の爆弾事件が起きた。それから店にやってくる客はめっきり少なくなり、従業員も解雇せざるを得なくなった。
「お客が来なくなったのは、ここが危険になったからだけじゃない。この2、3年で急に物価が上がって、人々が余分なお金を使えなくなったからでもあるんだ。生活に必要なもの全てが値上がりしている。例えば米は3年前に1キロ25ルピーだったのが、今では75ルピーもする。この50年ずっと変わらなかった食パン一斤の値段も、この2年で3倍になった。野菜、フルーツ、バス代、ありとあらゆるものが高くなっている。今じゃ物乞いの相場まで上がる始末さ。物乞いに半ルピー貨をあげてごらんよ。『こんなものいるか!』って投げ返されるのがオチだから。ハハハ」
 この物価高の原因は、もちろん世界的な原油の高騰とそれに伴うインフレの影響もあるけれど、スリランカ国内の事情、つまり戦争遂行にかかる費用を政府が切実に必要としていることが大きいようだ。トリンコマリー周辺に限っても、いったい何百人、何千人の兵士が駐留しているのか見当もつかないほどである。その兵士全てに装備を与え、補給を行い、給料を払うためには、膨大な予算が必要になる。戦争は何も生み出さない。ただ金を使うばかりである。当然のことながら税金を上げるしかない。
「税金が上がって良かったことがひとつだけある。それはタバコの値段が上がったことだよ。3年前はタバコ一本が3ルピーだった。それが今じゃ15ルピーだ。これじゃ庶民は吸えないよ。実際、今の若者はあまりタバコを吸わなくなった。しかしそれは良いことだよ。健康に悪いものなんだからね」
 タバコ一本が15ルピー(15円)というのは驚くべき値段である。20本入りの一箱が300円もするということだから、日本とほぼ同じ水準なのである。平均的なスリランカ人の収入は日本人の10分の1ぐらいだから、単純に考えれば、日本で一箱が3000円もするタバコを買い続けなければいけない感覚なのである。
 その話を聞いて納得したことがある。それはスリランカの男たちがやたらと「タバコを持っていない?」と僕に聞いてくることだった。他の国でもたまに「タバコをくれ」と言われることはあったが、スリランカほど頻繁ではなかった。僕はタバコを吸わないので「ノー」と答えると、彼らはとても残念そうな顔をするのだった。
 きっとここ数年で急にタバコの値段が上がってせいで、意に反して禁煙せざるを得なくなったスリランカ人も多いのだろう。でも長年の習慣とニコチン中毒によって、簡単にはやめられない。タバコは欲しいが手に入らない。だから外国人を見かけると、つい反射的に「タバコくれ!」と口走ってしまうのではないか。

 僕らが話しているあいだも、ずっと雨は止むことなく降り続いていたが、3時頃になってようやく雲が晴れ、空が明るくなってきた。ロドリゴさんはそれに合わせるように店を閉める準備に取りかかった。いつもは4時に閉めるのだが(夜は危険なので誰も店は開けない)、今日は客が少ないから早めに切り上げるつもりらしい。
「雨が必ず止むように、この戦いだっていつか終わりが来るはずだ。でもそれには時間がかかるだろうね。私が生きている間には終わらないかもしれない。この20年でシンハラ人とタミル人のあいだには大きな溝が開いてしまった。不信感ばかりが育ってしまった。それを埋めるにはきっとあと20年の時間が必要だろう。でも『もう遅すぎる』なんてことはない。昔は違う民族が争うことなく共存していたんだ。それが二度とできないなんてことはないはずだ。スリランカはとても美しい国だよ。私の子供や孫の世代には、この美しい国で平和に暮らして欲しいんだ」
 ロドリゴさんと話をしていてもっとも印象的だったのは、彼がときどき見せるユーモアの輝きだった。理不尽な現実に怒り、嘆きながらも、彼にはそれを笑い飛ばすだけの力があった。自分が撃たれたことでさえ、笑いにすることができるのだ。
 誰かが言っていたが「笑いとは悲しみの中から生まれるもの」なのだろう。きっと笑いとは日々の生活の中に小さな希望の光を見いだしていく行為なのだ。
「君と話ができて良かったよ」とロドリゴさんは僕の手を握りしめながら言った。「こういう話は長いこと誰にも話していなかったんだ。誰が聞いているかわからないからね」
「日本にも『壁に耳あり』ってことわざがありますよ」
「そう。この店の壁にも耳がついているかもしれないね。ここじゃそれが命取りになることだってあるんだ。私はそういう例をたくさん見てきたからね。でも英語なら漏れる心配はないさ」
「なんと言ったらいいのか・・・とても興味深い話でした」
 と僕は言った。彼のタフな人生を前にして「興味深い」という言葉はあまりにも軽すぎたが、それ以外の言葉が思いつけなかったのだ。
「いや、ただの事実さ」とロドリゴさんは笑った。「だけど、本が三冊は書ける人生だと思うよ。ハハハ。またスリランカに来ることがあったら、ぜひここを訪ねて欲しい。そのときにはもう死んでいるかもしれないけどね」
「きっと生きていますよ。兵士に撃たれたって死ななかったんでしょう?」
「そうなんだよ。私には神様がついているんだ。神様が私に『生きろ』とおっしゃっているんだよ」

(つづく)




 網を持つ姿がやたら決まっていた漁師の男。
 スリランカはカッコいいおじさんの宝庫である。




 漁に出ていた漁船が浜に帰ってきた。
 浜に残っていた男たちと力を合わせて漁船を引き上げる。
 漁村には人々の共同作業が必要な場面がたくさんある。







 旅写真家。1974年、京都市生まれ。
 機械メーカーでエンジニアとして2年間働いた後退社し、2000年12月から10ヶ月に渡ってユーラシア大陸一周の旅に出る。
 帰国後立ち上げたホームページ「たびそら」が「@niftyホームページグランプリ2002」で準グランプリを受賞し、2003年12月に初の写真集「アジアの瞳」を出版。
 2004年からは「旅写真家」としてアジアを中心に旅と撮影を続けながら、執筆や講演などを行っている。
 2005年9月には2冊目の著作「素顔のアジア」を出版。
 2006年8月には「美少女の輝き」「子供たちの笑顔」の二冊の写真集を同時出版。
 (→更に詳しく)



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