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写真で見る日本の歴史

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全国で出会える歴史人物(9)
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■おすすめの本紹介
今回は大学受験おすすめ歴史テキスト、参考書特集!受験生はもちろんのこと、改めて歴史の勉強をしたい方もいかがでしょうか?
写真で見る日本の歴史>おすすめの本

今回紹介する人物

西郷隆盛(1828/01/23〜1877/09/24)
 大久保利通、木戸孝允とともに、「維新の三傑」といわれています。

池田勇人(1899/12/03〜1965/08/13)
 元内閣総理大臣。所得倍増計画を打ち出して、日本の高度成長を実現。

中江藤樹(1608/04/21〜1648/10/11)
 「近江聖人」とたたえられた学者。私塾、藤樹書院を開きました。

大国主命
 出雲大社の縁結びの神。七福神の一人、大黒天。「因幡の白うさぎ」で有名。

宮本武蔵(1584?〜1645/06/13)
 剣豪。二天一流の祖。著書に『五輪書』があります。

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【西郷隆盛】


上野公園にある西郷隆盛像です。薩摩藩の下級武士の子として生まれました。本名を隆永といいます。薩摩藩の藩主だった島津斉彬のもとで懐刀として出世していきましたが、斉彬の死後、藩主の実父で実力者の島津久光と折り合いが悪く、失脚。二度の流罪にもなりました。しかし、家老の小松帯刀や大久保利通らによって復帰し、薩長同盟を締結するなど、倒幕を主導するなどして活躍しました。戊辰戦争の時は、江戸城総攻撃の前に勝海舟と話し合い、江戸城の無血開城を成功させました。明治新政府では、参議として廃藩置県の実現などに活躍しましtが、自らが主張した征韓論を大久保利通らに反対され、鹿児島に帰りました。そして、最後にして最大の士族の反乱、西南戦争を起こし、敗れて自害しました。

【池田勇人】


明治32年(1899)に広島県竹原市に造り酒屋を営む父(吾一)と母(うめ)との間にうまれました。京都帝国大学法学部(現、京都大学法学部)を卒業後、大蔵省へ入りました。吉田茂内閣の時、石橋湛山蔵相のもとで大蔵事務次官を務め、昭和24年(1949)に衆議院初当選。すぐに大蔵大臣となり、自由党幹事長や通産大臣などを歴任しました。昭和35年(1960)に岸信介の後を継いで内閣総理大臣に就任しました。在位中は所得倍増計画を打ち出し、高度経済成長を推し進めました。また、東京オリンピックを実現させましたが、その閉会式の翌日、昭和39年(1964)10月25日に辞意を表明しました。そして、その翌年、咽頭癌による手術を受けましたが、その術後肺炎によって亡くなりました。

【中江藤樹】


農業を営んでいた中江吉次の長男として生まれました。祖父、中江徳左衛門の養子として、9歳の時に米子に行きました。そこで、米子藩主加藤貞泰に仕え、伊予国大洲へ国替えになった際も同行しました。その後、脱藩して近江へ帰郷。そこで、伊勢亀山藩士高橋小平太の娘、久と結婚しました。この時期、自宅で私塾を開いていましたが、屋敷に藤があったことから藤樹とよばれ、塾の名も藤樹書院とよばれるようになりました。

【大国主命】


兄の八十神たちが、因幡のヤカミヒメのもとに求婚に行く際に、その兄たちに同行して因幡に行きました。その途中、傷を負った白うさぎに出会いました。その白うさぎは、海を渡るために、ワニ(サメ)をだまして皮をはがされてしまっていたのです。そこで、大国主命は、白うさぎを介抱し、傷を癒しました。白うさぎはそのお礼にと、呪力でヤカミヒメと結ばせました。しかし、そのことで兄の八十神たちは妬み、二度も大国主命を殺しました。しかし、その都度、母の御祖命(ミヤノミコト)の力で生き返りました。その後、スサノオノミコトが支配する「根の堅州国」に逃れていきました。

【宮本武蔵】


著書「五輪書」によれば、出生地は播磨国(兵庫県)ですが、美作国(岡山県)説もあり、定かではありません。13歳の時に初めて有馬喜兵衛なる人物と試合を行い、29歳までに60余回もの試合を行いましたが、すべて勝ったといわれています。また、慶長5年(1600)には、関ヶ原の戦いに宇喜多秀家隊の一員として参加しています。また、その後も豊臣氏滅亡の戦いである大坂の陣や寛永15年(1638)の島原の乱などにも従軍しています。寛永17年(1640)に、細川忠利に招かれて熊本へ移り、そこで客分として過ごしました。その後、寛永20年(1643)から現在の熊本市にある「霊巌洞」で「五輪書」を執筆し始めたといわれています。その二年後の正保2年(1645)に千葉城の自宅屋敷で亡くなりました。

クイズ ここはどこ?
●第31問出題中
・ここはどこ? 「少し前、ニュースを騒がせた秘湯」
クイズに挑戦する  http://www.geocities.jp/naoyakim/quiz1/top.htm

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