小説「愛は6の感性」(44) 高田裕一 著

前号までのあらすじ
あらすじ
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「K」と呼ばれる店にはクラシック音 楽のコレクションがあり、彼はいつも愛着のあ る席に座る。
一年半ほど前に、彼は「K」でけい 子と知り合い、親しくなるが不本意な別れ方を する。帰り道にある「スナック」でルミに出会 い、その部屋に通うようになる。
「K」でけい子邂逅し、その部屋を訪れると、 ルミについて詰問された。
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彼はずっとルミに付きまとっていたケンという 男に脅された。
彼はルミの肉体については知っている。一方、 けい子の存在は「6の感性」で感じていたのだ 。
けい子が結婚することを聞き、花嫁を奪う計画 を立てる。結婚式の前日、ルミに別れを告げる ために、そのアパートへ向かう途中、一人の男 に突き当てられた。


免罪符

突き当てられた勢いで、彼は路上に倒れた。起 き上がろうとするが、力が入らない。
腰を 打った痛みより、ずっと大きな疼痛が右脇腹に 感じた。どくどくと脈を打っている。右手で探 ってみると、生温い液体が手の平いっぱいに付 着した。薄明るい街灯に手を翳すと、真っ赤な 液体が滴り落ちてきた。
「血だ!」
いったい何が起こったのか、直ぐには理解でき なかった。
もう一度右脇腹を弄(まさぐ) り、首を起こして確認してみると、赤い液体が 盛り上がるように湧き出している。
「刺された!」
と、得心した瞬間、背筋に悪寒が走った。

犯人は、ケンちゃんという男。
その出喰し た瞬間の醜く歪んだ顔と、去っていくときにち らりと振り返った横顔は、紛れもなくその男だ った。
走り去る右手に握られた刃物の切先 が、街灯からの光を受けて、赤みを帯びた銀色 に一瞬光ったこともはっきり憶えている。

「大丈夫ですか?」
と耳元で男性の声、
「刺された」
彼のしわがれ声に、2回ほど聞き直おしたとこ ろで、この通りすがりの男性は、右手の手の平 から溢れ出ている血に気が付いた。
「大変だ、大変だ!人が刺された、救急車!救 急車!」
慌てふためいて、ちょうど通りかかった何人か に声をかけている。

「動かすな!」
「タオルか何か当てる布はないか!」
「救急車は呼んだのか!」
彼を取り囲んで、人々が口々に叫んでいる。下 から見上げている彼は、それらが他人事のよう に現実感なく聞こえていた。

「腹を刺されたらまず助からないね」
ケンちゃんという男が、以前「スナック」で仲 間と話していたことを思い出した。カウンター 席に座っている彼を威嚇するような視線を、時 々向けていたのだ。
「だから、出入りの時には腹に週刊誌をサラシ で巻いていくんだって、△△組の若頭に聞いた んだけど」
酔った勢いで、さらに続けた、
「胸は狙いが難しいが、腹は的が広いし、避け にくい。ドスの柄(つか)に滑り止めのタオル を巻いて、自分の腹に当て、体ごとぶつかって いく。脅す場合はドスをちらつかせるが、本気 でヤルときは絶対に見せてはいけない」
前回、ケンちゃんが刃先を見せてきたのは脅し だったのだと、今になって彼は納得した。

「このまま、自分は死ぬんだな」
と、心の中で彼は確信した。死期が近づくと自 分の過去が走馬灯のように浮かんでくる、とい う話を聞いたことがあるが、まだそんな兆候は ない。

余り人通りのない道だが、彼の周りに人の顔が 幾重にも取り囲むまでになった。その中心で、 道路上に仰向けに寝転がっていると、大地の冷 たさが背中に伝わってくる。
「これでよかったんだ」
けい子の心からの愛に対してへの裏切り、さら にルミを性の対象としか見てこなかった身勝手 。自らの命が、それらを贖う免罪符のように思 えてきていた。

バッハの無伴奏チェロ組曲第1番ト長調の低音 が、傷の痛みを中心として、体全体に響き渡っ ていた。そのなかで、免罪された心は、良心の 緊縛から解き放たれた。
遠くから聞こえてくる救急車のサイレンの音が 重なり合ってくる。そのサイレンの音が次第に 大きく近づいてくるほどに、心の中のバッハも 力強く、自由な大宇宙へと広がっていくのだっ た。

「大丈夫ですか?」
「はい」
消防士の呼びかけに応じて、彼は首を縦に振っ た。
「もう少しですから、頑張ってください」
その消防士は後を振り返って、声を張り上げた 、
「意識レベル良好」




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