器から落ちちゃったモノに

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 確か、
 その経済という器、
 その歪みが沸点に達し、
 その器では収まり切らなくなった時に
 社会は変革する。

 なんて、ことを
 昔々
 「史的唯物論」とかいう本で
 読んだ記憶がある。

 その著書は
 だから、
 資本主義の歪みにより社会主義へ、
 そして人類のユートピアとしての
 共産主義社会になると
 結んでいたが、

 
 父親の蔵書から引っ張り出した古ぼけた岩波の新書だと思う。
 
 さぁ〜て、今や昔。
 ホントにそうなるのでしょうか?
 
 ソレと関連して?
 イヤ、そのロジックを借用して、
 社会の器から落ちたモノにこそ勝機がある。
 という至ってビジネスチックな話である。

 
 その昔、私たちが写実する手段は文字と絵であった。
 文字は未だ健全だが、その絵。・・・絵画。
 コミュニケーションの手段の話。
 
 今もモンタージュ写真よりも似顔絵の方が
 警察の捜査には役立つという話しだが、
 その昔、絵画は今のような鑑賞用、投資用の商品ではなく、
 コミュニケーション手段として用いられていた。

 バリバリの現役、コミュニケーションメディアとしての絵画。
 それが、より便利に写実的な写真によってその地位を追われた。

 写真は未だ、その媒体として
 そのコミュニケーションメディアとしての
 地位は辛うじて確保しているが、
 その後、出現した映画というメディアに
 その地位を奪われる。
 
 写真と映画の違いはどこにあるのか?
 それは時間という概念を
 そのコミュニケーションメディアに付加したところに
 より高度に利便的に、再現を可能にした。

 そう時間。
 
 絵画から写真の変遷も写実よりも時間という概念により
 よりタイムリーに再現できるメディアとして
 推移したと考えられる。

 映画はさらに時間までも再現したメディアとして、
 写真にとって代わったということだ。
 
 そして、テレビ。

 さらにインターネット。
 
 社会は利便性を求め、その社会という器から
 退場を迫られたモノの屍を乗り越え、今がある。
 
 そして、高度情報化社会の今、
 私たちはどこへ行くのか?

 
 それは逆行することではないだろうか? 
 利便とはニーズである。
 不便とはウォンツであるという定義において。
 
 利便には価値はない。

 不便にこそ価値は派生する。

 絵画が投機目的の資産になるように。

 

 利便性追求の社会という器から落っこちたモノ。
 それを拾い集めるというビジネスはあると思う。
 
 まぁあくまで「思う」だが、
 映画もテレビの出現で娯楽から芸術になったように
 その落ちたモノが市場において「ウォンツ」という価値が付加される。
 
 利便性というニーズは大企業マーケット。
 そこに参入するよりは落ちたモノを拾う。
 
 その視点。
 
                   経営コンサルタント 今井裕志

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